『何でバイクが好きなんだ』
単車と云う不思議な乗り物と私の付き合いに付いて
私は、オートバイがとても好きです。走っている時の音も、オイルと泥で汚れた姿でエンジンが冷える時のチンチン云う音も、磨き上げられて誇らしげなフェンダーやホイール、フユェールタンク、マフラーなどを輝かせている時のオートバイが好きです。
ガレージに転がっている、どこから落ちたか分からないナットの行き先を捜すことや、バラした部品の内側のオイルがのって光っている金属の表面、ニードルピンの繊細な形状も、小さな傷でささくれたタイヤのトレッドも好きです。
とても正確で無駄のない部品で組み上げられ、繊細な技術に支えられた機械が、無性に美しいと思うし、豪快な存在感を放っている。
やっぱり、オートバイって良い。
武骨で野性的な能力と、デリケートな機能が二極一体で私を刺激し続け、圧倒的な解放感と充実感を、20余年も与え続けている。
夜明けの中央高速を今日の旅路を思いながら走っている時、陽だまりの伊豆半島をのんびり行く時、夜中の首都高速で馬鹿になってぶっ飛んでいる時、通勤路を急いでいる時、みんな楽しい。
プラグやキャブレターをいじって油くさい真っ黒な手で、夜の更けるのを忘れている時、エンジンの乗せ換えを思い立ち、気合いが入りすぎて眠っていられず早起きした朝など、多くの時間、結構ハッピーです。
『危ないから、もう降りたら』『いつまで、そんな物いじってるの』『馬鹿!うるさい!』『気をつけんだぞぉ』。
バイクと付き合っていて思うのは、きっと、『頑張んなさい』『しっかりね』なんて、云われ応援されながらバイク乗っている奴なんて一人もいないだろうと云うことだ。
多かれ少なかれ、親や世間の批判や中傷にさらされ、それでも止められずに走り続けている鬼っ子たちは、少し悲しく、結構楽しい。
同じ趣味で苦労している者同士は、同族の悩みや感激事にすぐ反応する。
だから、ライダーたちは仲がいい。
危険は、ライダーたち自身が一番良く知っている。一番真剣に考え、憤り、反省し、学習する。それでも、走り出さずにいられない何かを心の中に発見した者、疾走の解放感を知ってしまった者、そんな奴らが一○○年もかけて、何千人もの知恵を集めて、時速三○○キロものスピードで移動する機械を作った。小さな部品一つにもそんな情熱と知恵と、技術と夢が詰まっていると思ったら、この武骨な道具が愛しくっていられない。思わず見とれてしまう気持ち、わかるかなぁ。
発見した小さな傷でも、ガーゼにコンパウンドを付けて磨いてしまって、ワックスで拭き上げずにはいられない。何万人もの私と同じ馬鹿な部分を持った先輩たちが、丹精して育ててきた、俺の大事な玩具、生活の相棒とも云えるオートバイというマシンを、私も丹精して整備し、思いっきり走らせてやらなければ申し訳ない。
たとえそれが双刃の剣であっても、こいつの達人を目指そうと思っている。
爆走の達人とは、どんな状況、事件が起きようとも、ハンドルの前で起こることすべてに対処し、自分とマシンを守り、必ず、ゴールに返ってくるライダーを云う、そして、ライディングのみならず、バイクの周りのすべてのことを誰よりも楽しめるバイクフリークのことを云う。
ただ速く走りたいと思い続けた先輩たちからの遺産は、有難い。
私一人では、到底、タイヤは丸いほうが都合がいいことや、原油を精製してガソリンにすると良く燃えること、磁石の脇を電線が通ると電気がおき、セレンやコイルやプラグを使うと火花を作れることや、前輪にキャスター角を与え後輪を駆動させると、前進することで車体を起こして安定すること、塗装することで金属が錆びにくく成ることなどに気づく筈がない。ましてや、組み上げて機能を持たせることなど出来る筈もない。
長い時間をかけて多くのエンジニアたちがスピードや安全に知恵を絞り続け、車体の構成素材を捜し続け、開発し続けて練り上げた、そして名も無き多くのライダーたちが欲張った我が侭な夢を見続け、怪我人や死人まで出しながら鍛え上げ、作り上げたオートバイが、今あることをラッキーと思って、大先輩たちに感謝し、大いに楽しませて戴いています。
子供の頃見た近所のおじさんのインディアンから、乗り始めた頃のCB、マッハ、ザッパ、現行のGSX−R、CBR、NSR、はやぶさ、まで、オートバイは確実に進化してきた。
最近は特に急激で、三年前のレーサーを簡単に置き去りにする量産のニューマシンが、街や、峠を走っている。現在の道路交通法の中には収まりきれないテクノロジーを持ってしまった、操縦が簡単で、素直で、それでいてアクセルを開ければ素晴らしく感能的に、まるで蹴っ飛ばされたように吹っ飛んで行くバイクがいくらでもある。
価格も年々高くなって、四輪車の値段かと思うものまで出てきて、オーナーたちはそれぞれに皆苦労しているが、金をかけるのも情熱のうちと頑張っている。
惚れている奴には、根性出して良いとこ見せないとね。
しかし、こんな高価なオートバイを手に入れても強欲な者はまだ居るもので、自分だけのオリジナリティーを求めたり、他車より少しでも速く走りたいと思う者が出てきて、チューンナップを始める。
これは、オーナーのセンスが問われる。
メーカーの鼻を明かし、時代をリードする性能やスタイルを持ったものや、ほのぼのとノスタルジックなもの等、なかなか出来の良いライダーの魂を具現化したようなマシンも出来てくるが、やたら音だけデカイだけの駄作や、オリジナルの性能を損う無知な品のない改造車も現われる。これが、バイクの嫌いな人を増やしたり、不良っぽいイメージや触ってはいけないものと云う世間の通念を助長する。
オートバイを正義の味方の乗り物にするのも、悪漢集団の足にするのも、人間自身の問題です。自由で、素朴で、便利な乗り物のオートバイに、悪い印象を押し付けるのは止めたい事だと思う。
私は複数のバイクをもう何年も有してきているが、バイクは決してうるさくないし、乱暴でもない。私自身が騒ぎたかったり、乱暴な気分に支配されなければ、ガレージに並んだバイクたちはいつまでもひっそりと、美しく輝いている。
それにしても、周囲の生活空間にある種のムードや影響を与えてしまう、オートバイって云う機械はすごい。こいつがあると、生活や考え方が変わることは、確かだ。馴れれば日常に成ってしまうけれど、後戻りは不可能のようだ。よほどの根性無しか、よほどの事件が起きない限り降りられない。
日本は免許などの関係で、16才から18才までの間、まだ四輪車には乗れないが、バイクはOKという時期があるため、どうしても少年たちがまずバイクに群がる。
バイクの魅力は、便利そう、速そう、気分良さそう、カッコいい、と、実に解りやすい。親をだましてまで一台のバイクを手に入れて乗り出す。親の方も経験不足で、仕方がないなァと思いながらも車体を買う分ぐらいの金をだしてしまっているらしい。
走り出したバイクは結構維持費のかかるもので、ガソリンやら摩耗パーツ代、保険代に至っては、若い彼らの場合、特にかわいそうなほど割高で、任意保険の切れたまま乗り続けている少年は大勢いるようで、何とかするようにと注意することは度々です。ビギナーの彼らはオートバイの扱いも下手で、壊さなくてもいい状況で壊さなくても良い部品を壊してしまったり、交換するには早すぎる時期にパーツを傷めてしまって、安全性を欠くものにしてしまうこともある。転倒した後の処理の金がないので、いい加減に直して誤魔化してしまっていることもある。親は、子供がライダーに成ることを許可するなら、もっと協力してやって欲しい。あとでアルバイトなどさせて回収するにしても、当座必要な金は出してやらねば、大切な息子を失うことになる。良い子ほど自分のドジは隠したいものなのだから、よく観察して欲しい。
子供がバイクに乗りたいと云い出して、諦めて許可するなら、ヘルメットからグローブ、ブーツ、ライディングウエアーも面倒みてください。一緒にバイク屋さんに行ってください。
現状ではそんな良い環境を持っているバイク少年は皆無に等しく、オートバイの何たるかを理解出来ない期間の中で、夜遊び道具として乗り回し、流行りに振り回されたアホウな改造をして、乗りにくいものにしてしまって、死に急ぐような哀れな者まで出している。『バイクは愚かな若者のもの』というイメージも作り出す。
しかしながら、馬鹿者ではバイク乗りには成れない事も事実です。
私が思うに、バイクの運転は、四輪自動車の運転よりずっと難解で、路面環境からの影響も大きいものです。 長年運転し続けて今も尚、『ああ、こうすればいいんだ』と新たなテクニックを発見することがあるくらいなものなのだ。
多くのバイク少年は18才でクルマの免許を取り、この難解でキビシイ環境に耐えながら短距離を一人の友人しか乗せて運べない道具を降りて、いつも無風で音楽のある暖かな環境の部屋で、大勢の人の乗れるクルマへと移行していく。
『昔乗ってたんですが、バイクはもう卒業しました』などとほざく。何も気づかない内にそう成れば、とりあえず安心で良いことだ。
オートバイには、クルマでは味わえない感覚があるのを忘れてはいけない。
私は、一人の時、荷物がない時、天気の良い時、気持ちの良い時に、クルマを残してバイクで出かける。
オートバイは道具として、使い方を考え、乗り方を考えて、命取りに成らないようにつきあって行きたい。
オートバイはどんなにきっちり整備しても、大事な時に裏切ることのある、ラスべガスで出会ったドキドキするほどの美人の性悪女と付き合って行く様な、手強くて、面白くて、気分の良い道具なんだと覚悟する事だ。
私は、オートバイはまだ完成されていない機械なのだと思う。
制度や習慣、道徳、法律、宗教、芸術、医療、都市機能、交通機関など、人間の完成させたものなど何もないような気がする。つっかえながら、まだまだ長い道程を行くのだろう。
物事は成長過程が面白い。結果も知りたいが、遠い未来の孫たちに任せるしかない。
一番良いものがまだ出来ていないバイクも、機能を追い、形を変えてどんどん良いものに成って行くのだろう。私の考えもつかない装置や機能を纏って、驚かせ続けてくれたら嬉しい。
10年後、20年後のニューモデル乗りたいね。
今、通勤に使っている私の愛車は、窓の外の街燈に照された歩道で、静かにしています。6年間使って少々傷ついて疲れてきたけれど、まだまだ元気です。
先日、フロント回りをバラしてボールレースのグリスアップとホークオイルの交換をしたので、走行時の路面からの外乱に対してハンドリングの収まりが良くなった。 調子が良いです。
今度、タイヤの交換をしてやろうと思っていますが、どこのメーカーのものにするか迷っています。近々バッテリーの交換時期もきそうです。
いつもならワイワイ集まってくるバイク仲間も、今日は一人も来ないで静かです。オートバイについては、思うこと、考えること、気がついたこと、など沢山あって、どう書き綴っても足りない気がするけれど、その何分の一かでも、書けて良かった。
オートバイが教えてくれた色々なものを思い出し、こいつとつきあう幸せを感じる良い時間でした。.